バトンはWeb2.0時代にふさわしいのか。
trackBacks (0) givenComments (0) Dec 12, 2006
社員のブログのエントリーがはてなブックマークで300user突破しそうなことに感心している時に、不思議な記事を見つけた。
中島聡・ネット時代のデジタルライフスタイル:Web2.0時代にふさわしい政治への参加の仕方
今回の試みは、実験でもあるが同時に「ブログの活用のしかた」の提案でもある。「せっかくブログという新しいツールを得たのだから、それを使って自分の意見を述べ、もっと積極的に政治に参加しましょう、関心を持ちましょう」という提案である。まさに、「Web2.0時代にふさわしい政治への参加の仕方」の提案である。
え ....? Is that it? 「?」マークが頭にぐるぐる浮かんでるうちに、例の社員のブログの「はてな」ブックマークは400userを突破してしまっていた。
「今回の試み」とは、詳しくは同じ著者のブログのエントリー、Life is beautiful: 「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」バトンを読んでいただければ理解できると思われる。簡単にまとめてみると、
- 経済財政諮問会議で、中央省庁による公務員の天下りのあっ旋を全廃することが提言された
- 閣僚たちがそれに反対して議論がまとまっていない
- 中島聡氏が自身のブログ上で「天下りあっ旋全廃に反対したらもう自民党には票を投じない」という意思表明をした上で、それに賛同するブロガーにバトンを回してもらうように呼びかけた
こんなところである。
天下りについての個人的な見解はここでは述べない。本エントリーで考えたいことは、はたしてこの手の動きが「Web2.0時代にふさわしいブログの活用のしかた、ひいては、政治への参加の仕方」なのだろうか、という一点である。賛同を呼びかけることは別段問題ではないし、その呼びかけに応じて律儀にトラックバックを送ることにも何とも思わないが、はたしてそれが「Web2.0時代にふさわしい」と大上段から言えるものだろうか。
結論から言うと、僕は全くそうは思わない。
「Web2.0」という言葉はいくつかの角度から観ることができると思うけれど、先ほど引用した中島氏のエントリーにおける意味としては、おそらく「個人メディア」という観点であろう。
僕は、個人が(主にブログという形で)メディアになりうるという点について、とても大きな意義を感じている。その点については中島氏に賛成である。それは、インターネットに接続する環境とブログツールがあるだけで、世界に向けて個人の頭の中をこれまでよりも遥かに効果的に届けることができるということを意味している。
なぜこのことがそれほど重要だと感じているのかというと、「時間と場所を超えて会議(情報交換も含め)をできる」ということに尽きる。つまり、これまでなら現実世界の諸々の事情から、顔をつきあわせて話すこともすれ違うこともなかった個人同士がつながるということだ。おおげさに言うならば、個々の頭々が合体するわけである。
一人の人間の頭の中身もそう単純ではなくて、相反する二つの事象に思いを巡らせてみたり、一つのキーワードやきっかけから全く違うテーマについての思考を開始したりもする。ブロガー同士がトラックバックやRSSやソーシャルブックマーク等でつながるということは、ある意味、WEBという大きな脳への進化することだと思っている。また還って、その脳の恩恵を個人として享受することができるのである。
この意味で、大切なことは個々の多様性をWEBの脳に反映することではないか、と僕は考える。今回の天下り云々のエントリーを発端として、例えば小飼弾氏は賛同した上で以下のように「手切れ金をけちるな」というタイトルのもと、「政治における正しい手法と正しい結果」についての方向へ論を発展させて鋭い頭の中身を垣間見せる。
(..前略)しかし、それこそが「正しい結果」をもたらすのだとしたら、過程の正しさには多少を目をつぶるべきなのだ。「正しい手法」で「正しい結果」を導けるような政府を作るには、それを片付ける過程で「正しいとはどうしても言えない」やり方も必要となってくるはずだ。
(..中略..)
政治において重要なのは、正しい手法ではなく正しい結果なのだ。
またbewaad氏は当事者にしてはわりと冷静で現実的な指摘をエントリーに書く。
bewaad institute@kasumigaseki:官僚にとってのインセンティヴと天下り問題再論
(..前略)とまれ、webmasterは天下り廃止に反対しているわけではありません。
* 代替措置がなければ人材の質は下がるだろうと予測し、
* それを厭うのであれば具体的な代替措置を合わせて提案する必要があると注意喚起をし、
* 質が下がってもいいというのは、それはそれでひとつの考え方であると評価をしている、
わけです
他にも読むべき多様なエントリーが多くあった。この事「自体に」意義があるのであって、それを一様化された「バトン」のような形で回して賛同者を多く集めることで世論の所在を明らかにすることに「Web2.0」さがあるとは思えない。それでは街頭署名と何ら変わらない。いや、街頭署名の方がまだ「数は」集まるはずだ。そうではない。そうやって多様な脳の集まりを実感し、理解のための努力をし、脳の結合を加速させる。個の「質」を高めた上で、間接政治に「主権をもった国民」として参加することこそが、「Web2.0」の恩恵を享受することではないか、と考える。
★ 追記(2006.1212 18:32)★
DESIGN IT! w/LOVEの棚橋氏によるエントリーで非常に簡潔にまとめていただいているので、是非そちらもご覧いただきたい。こういう方の文章を読むと自分の文章力のなさ加減を反省してしまう。本エントリーの内容の要約をしていただけているだけでなく、僕が思考を向けれていなかった点についても一部言及されている。以下の点である。
DESIGN IT! w/LOVE:自分の当たり前をブログに書く
そして、最後に落とし穴があると思うのは、優秀な人が集まったからといって、その集団が優秀になるとは限らないのは、これまでの企業の歴史なんかを見ても明らかなわけで、それにはいまのWeb2.0的機能にプラスアルファの何かがないとどうにもならないでしょうと思っているからです。ようするに僕は Web2.0は個人を高める環境としてはよくなってるけど、全体を高める環境としてはまだ穴があると思っているのです。
以上、追記。



